東京地方裁判所 昭和44年(行ウ)262号 判決 1980年3月27日
東京都江東区越中島二丁目三番一一号
原告
大谷運輸株式会社
右代表者代表取締役
大谷たみ
右訴訟代理人弁護士
長塚安幸
東京都江東区猿江町二丁目一六番一二号
被告
江東西税務署長
高木壽雄
右訴訟代理人弁護士
国吉良雄
右指定代理人
三宅康夫
同
関川哲夫
同
大谷勉
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
(当事者の求めた判決)
第一原告
被告が昭和四三年六月二九日付でした原告の昭和三八年一月一日から、同年六月三〇日まで、同年七月一日から同年一二月三一日まで、昭和三九年一月一日から同年六月三〇日まで、同年七月一日から同年一二月三一日まで、昭和四〇年一月一日から同年六月三〇日まで、同年七月一日から同年一二月一日までの各事業年度の法人税についての更正処分(ただし、昭和三九年一月一日から同年六月三〇日までの事業年度については再更正処分)及び重加算税賦課決定処分を取り消す。
第二被告
主文同旨
(当事者の主張)
第一原告
一 原告は、貨物自動車運送事業を目的とする株式会社である。
二 原告は、昭和三八年一月一日から同年六月三〇日まで(以下「昭和三八年上半期」という。)、同年七月一日から同年一二月三一日まで(以下「昭和三八年下半期」という。)、昭和三九年一月一日から同年六月三〇日まで(以下「昭和三九年上半期」という。)、同年七月一日から同年一二月三一日まで(以下「昭和三九年下半期」という。)、四〇年一月一日から同年六月三〇日まで(以下「昭和四〇年上半期」という。)及び同年七月一日から同年一二月三一日まで(以下「昭和四〇年下半期」という。)の各事業年度(以下「本件各事業年度」という。)の法人税について、青色申告書により確定申告をしたところ、被告は、昭和四三年六月二九日付でその全部について更正処分(ただし、昭和三九年上半期については再更正処分。以下、これらの各処分を「本件各更正処分」という。)及び重加算税賦課決定処分(以下、本件更正処分と合せて「本件各処分」という。)をした。そこで、原告は、本件各処分に対し異議申立て及び審査請求をしたが、いずれも棄却された。その経緯は、別紙一の別表1ないし6記載のとおりである。
三 しかし、本件各更正処分は、労務費の認定を誤った違法なものであり、したがって、重加算税賦課決定処分もその基礎を欠くものであるから、本件各処分は取り消されるべきである。
第二請求原因に対する認否
一 請求原因一、二の事実は認める。
二 同三の主張は争う。
第三被告の主張
一 原告の本件各事業年度の所得金額
原告の本件各事業年度の所得金額は、別紙二の各「合計所得金額」欄記載のとおりであって、本件各更正処分は、いずれも右所得金額と同額若しくは範囲内でなされたものであるから、適法である。
なお、被告が本訴で主張する右所得金額のうち、昭和三八年下半期、昭和三九年上半期及び昭和四〇年上半期の所得金額が本件各更正処分によるそれを上回るのは、いずれも未払事業税認定損の額の計算にあたり、昭和四三年四月一日以後確定する事業税の課税標準が地方税法の改正(地方税法二〇条の四第一項、昭和四三年三月三〇日法律四号附則三条)により千円未満切捨てとされたにもかかわらず、本件各更正処分が旧法によって計算したため生じたものである。
二 本件各更正処分の内容
1 昭和三八年上半期分
労務費中否認額 三四〇万五二三五円
原告が当期の労務費として損金経理した一二三一万九九〇九円のうち別紙三番号1ないし34記載の渡辺幸一外三三名に支払ったとして処理した三四〇万五二三五円は、架空労務費であることが判明したので、その損金算人を否認した。
2 昭和三八年下半期分
(一) 労務費中否認額 三九八万六一九〇円
原告が当期の労務費として損金経理した一五三六万五三三三円のうち別紙三番号11ないし20、22ないし44の石野恒祐外三二名に支払ったとして処理した三九八万六一九〇円は、架空労務費であることが判明したので、その損金算入を否認した。
(二) 未払事業税認定損 四〇万八六二〇円
昭和三八年上半期の更正に伴う未払事業税四〇万八六二〇円は、当期の損金となるので、減算した。
3 昭和三九年上半期分
(一) 労務費中否認額 四五六万五六一五円
原告が当期の労務費として損金経理した一六七一万六一四一円のうち別紙三番号25ないし53記載の阿部光男外二八名に支払ったとして処理した四五六万五六一五円は、架空労務費であることが判明したので、その損金算入を否認した。
(二) 未払事業税認定損 四二万九三〇〇円
昭和三八年下半期の更正に伴う未払事業税四二万九三〇〇円は、当期の損金となるので、減算した。
4 昭和三九年下半期分
(一) 労務費中否認額 四六八万四三三三円
原告が当期の労務費として損金経理した一八一〇万五〇六七円のうち別紙三番号29、30、33、34、37、38、40ないし53記載の山崎信一郎外一九名に支払ったとして処理した四六八万四三三三円は、架空労務費であることが判明したので、その損金算入を否認した。
(二) 未払事業税認定損 四九万六三五〇円
昭和三九年上半期の再更正に伴う未払事業税四九万六三五〇円は、当期の損金となるので、減算した。
5 昭和四〇年上半期分
(一) 労務費中否認額 四一四万三三〇一円
原告が当期の労務費として損金経理した一五八〇万五八三三円のうち別紙三番号29、30、33、34、37、38、40ないし63記載の山崎信一郎外二九名に支払ったとして処理した四一四万三三〇一円は、架空労務費であることが判明したので、その損金算入を否認した。
(二) 貸倒準備金繰入否認 三七万六八八七円
被告が昭和四三年六月二九日付で原告の昭和三八年上半期事業年度以降の青色申告書提出の承認を取り消した(この処分は確定した。)ことに伴い、法人税法(昭和四一年法律三二号による改正前のものをいう。以下同じ。)五二条の規定により原告が当期の損金に算入した貸倒準備金繰入額三七万六八八七円の損金算入を否認した。
(三) 未払事業税認定損 五〇万二五四八円
昭和三九年下半期の更正に伴う未払事業税五〇万二五四八円は、当期の損金となるので、減算した。
6 昭和四〇年下判期分
(一) 労務費中否認額 三三五万八一二六円
原告が当期の労務費として損金経理した一八二三万六五二九円のうち別紙三番号41ないし43、47ないし67記載の関口一二三外二三名に支払ったとして処理した三三五万八一二六円は、架空労務費であることが判明したので、その損金算入を否認した。
(二) 貸倒準備金繰入否認 四七万一二〇〇円
前記5(二)で述べたとおり青色申告書提出の承認を取り消したことに伴い、原告が当期の損金に算入した貸倒準備金繰入額四七万一二〇〇円の損金算入を否認した。
(三) 繰越欠損金控除否認 一二六万〇九八八円
青色申告書提出の承認を取り消したことに伴い、法人税法五七条の規定により、原告が当期の益金より控除した繰越欠損金一二六万〇九八八円の控除を否認した(なお、昭和四〇年上半期における原告の所得金額は、前記一のとおり二三一万四〇六二円となるので、繰越欠損金そのものが存在しない。)。
(四) 貸倒準備金戻入認容 三七万六八八七円
原告が当期の益金に算入した貸倒準備金戻入額三七万六八八七円は、昭和四〇年上半期の更正により同期の損金算入を否認しているので、当期の益金から減算した。
(五) 未払事業税認定損 二一万〇一八〇円
昭和四〇年上半期の更正に伴う未払事業税二一万〇一八〇円は、当期の損金となるので、減算した。
三 労務費中否認額合計二四一四万二八〇〇円について
1 原告は、前記のとおり本件各事業年度において渡辺幸一外六六名(別紙三番号1ないし67記載のもの)の作業員(以下「本件作業員」ともいう。)を雇傭し同人らに対し別紙三記載のとおり合計二四一四万二八〇〇円の賃金を支給したとして、確定申告において、これを損金の額に算入して申告した。しかしながら、以下に述べるように、本件作業員が原告会社に勤務した事実はなく、したがって、右金員が賃金として支払われた事実も存しない。
2 なるほど、本件作業員の履歴書は原告会社に保管され、原告会社の帳簿書類である作業明細帳(甲第四、第五号証の各一ないし四)及び賃金明細書(甲第七ないし第九号証の各一ないし一二)には、これらの者が本件各事業年度において実際に稼働しそれに相応する賃金が支給されたかの如く記載され、しかも、これらの者の源泉所得税、各種社会保険料の控除と納付もされているが、本件作業員が原告会社に勤務していなかったことは、次の事実から明らかである。
(一) 原告会社の経理担当者が実際に賃金を支給したか否かを確認する最も重要な帳簿書類と認められる運転手・作業員賃金受領証綴(乙第三号証はこれを写真にとったものである。以下「賃金受領証綴」という。)には、本件作業員の氏名の記載はなく、賃金の格付を示しほぼ毎月作成されている現業員級別一覧表(甲第二三号証の一、二)にも、賃金受領証綴に記載のある者はその全員が記載されているにもかかわらず、本件作業員はその一部がたまに記載されているにすぎないこと
(二) 被告側で本件作業員とされている者に照会したところ、その者達は原告会社に勤務したことはないと回答していること
(三) 当時の運送業界においては、作業員は運転手一人につきせいぜい一人というのが普通であったのに、本件の場合、本件作業員を原告会社の作業員に含ませると、その数は対運転手数との関係で不均衡なものとなること
3、以上要するに、被告が否認した労務費は、原告会社の作業員募集に応募したものの、条件等が折り合わず原告会社に勤務しなかった者の履歴書が原告会社に保存されていたのを奇貨とし、原告が、これを利用して本件作業員があたかも勤務したかの如く作業明細帳や賃金明細書等を作成して計上した架空労務費である。
四 重加算税賦課決定処分
本件重加算税賦課決定処分は、別紙二記載のとおり、国税通則法六八条一項の規定に基づき、本件各更正処分により納付すべき法人税額に一〇〇分の三〇の割合を乗じて計算した額を賦課決定したものである。本件各更正処分により納付すべき法人税額全額を対象として重加算税を賦課したのは、別紙二のとおり、更正内容中、隠ぺい又は仮装したことによる部分の金額が更正により増加した所得金額と同額若しくはそれを上回るからである。
なお、「労務費中否認額」が同法六八条一項に規定されている隠ぺい又は仮装に該当することは、前記のことから明らかであり、「繰越欠損金控除否認」も、欠損事業年度が欠損となった理由が右の架空労務費の計上に基因するものであるから、同様に隠ぺい又は仮装によるものであるということができる。
五 以上のとおりであるから、被告がした本件各処分は適法である。
第四被告の主張に対する認否
一 被告の主張一は争う。
二 同二のうち、本件各更正処分の内容が被告主張のとおりであることは認めるが、本件各事業年度の労務費否認額が架空労務費であることは争う。したがって、昭和三八年下半期以降の未払事業税認定損を認める必要はない。また、被告が原告の昭和三八年上半期事業年度以降の青色申告書提出の承認を取り消したことは認めるが、右取消しは無効であるから、これに伴う昭和四〇年上、下各半期の貸倒準備金繰入否認並びに昭和四〇年下半期の繰越欠損金控除否認及び貸倒準備金戻入認容も違法である。
三 同三の1のうち、前段の部分は認めるが、後段の部分は争う。同三の2の前文のうち、本件作業員が原告会社に勤務していなかったことは争うが、その余は認める。同三の2の(一)のうち、賃金受領証綴が最も重要な帳簿書類であることは争うが、その余は認める。同三の2の(二)、(三)及び同三の3は争う。
四 同四、五も争う。
第五原告の反論
一 原告会社の現業従業員には、運転手と作業員とがおり、作業員はいつでも退職金不要で解雇できる臨時とそうでない常傭とに区分されるところ、本件作業員は、そのうちの臨時作業員の一部に該当するものである。被告は、本件作業員は原告会社に勤務した事実はないと主張するが、それは、以下に反論するように、事実を誤認するものである。
二 作業明細帳、賃金明細書、賃金受領証綴、現業員級別一覧表等の関係について
1 原告会社においては、荷主から注文を受けると、営業担当者が手配書(予定表)を作成し、この手配書に基づいて現業従業員が仕事に従事するが、仕事が終ると、運転手は作業日報を作成して営業担当者に提出し、営業担当者は、日々これを作業明細帳と作業台帳に記帳するとともに、現業従業員各人につき作業時間表を作成する。そして、月末近くになると、経理担当者が、右作業時間表をもとに各人ごとに二〇日締めで賃金明細書を作成し、これに基づき各人の賃金を計算して、月末に銀行から現金を引き出し、源泉所得税、失業保険料、健康保険料、厚生年金保険料等を控除して、賃金を支給する。この賃金支給の際、原告会社では、昭和四〇年上半期までは、原則として各人から賃金の受領書といったものはとっておらず、ただ、後に問題となりそうな者からは、後日の証拠として、例外的に給料受領書を徴していたにすぎない。そして、控除した源泉所得税、社会保険料等は所轄官署に正しく納付していた。
2 以上の次第で、作業明細帳には、本件作業員を含めた原告会社の現業従業員全員の日々の作業内容、作業時間が克明に記載され、また、賃金明細書にも、同じく現業従業員全員について、各人ごとに作業時間と賃金額とが記載されているのである。こうして、原告会社にとって作業明細帳と賃金明細書は極めて重要な帳簿書類であり、その保管には相当な注意を払っていたことから、この両書類は今でも残存しているが、前述した手配書、作業日報、作業台帳、作業時間表、給料受領書は、昭和四一年ころ、原告会社で事務所の大修理をした際すべて紛失してしまった。
被告は、原告が手配書等の紛失を奇貨として、作業明細及び賃金明細書には架空の本件作業員を記載していると主張するが、右両書類の記載の仕方、内容ないし状況及びその正確性について多数の照合の跡がみられることから被告主張のように故意に架空の作業員を混入させたとみることはできず、その正確性に疑いをさしはさむ余地はない。現に、被告は、昭和三九年五月一一日に原告会社の昭和三八年上、下半期の税務調査をした際、前記手配書等はもとより右両書類についても点検し、その正確性を是認していたのである。
3 一方、賃金受領証綴は、原告会社の従業員のうち運転手と常傭作業員だけを参考的備忘的に記載したものであって、そこに記載された従業員の数だけはたして正確に給料袋が作成されたか否かを確認するためのものにすぎず、賃金受領の証拠として作成されたものではない。このことは、賃金受領証綴に<済>印が押されている部分と押されていない部分(ところによっては、数か月にわたって全員に<済>印が押されていない部分もある。)とがあり、一貫性を欠いていることからも明らかである。したがって、臨時作業員である本件作業員が同綴に記載されていないのは当然のことであり、被告主張のように、このことの故に本件作業員が架空の作業員であるということはできない。
また、現業員級別一覧表は、原告会社の運転手及び常傭作業員の賃金の格付を記載したものであり、経理担当者が従業員の賃金計算の際参考にするものである。同一覧表に臨時作業員は原則として記載しない建前になっているが、これは、臨時作業員は賃金の格付のうえで原則として最下位に位置付けられているので、記載の必要がないからにほかならず、ただ、例外的に社長の指示があるときは、臨時作業員でも記載することがあった。現業員級別一覧表の作成意義及び記載範囲は右のとおりであるから、臨時作業員である本件作業員が原則として同一覧表に記載されていないことは、なんら異とするに足りないものである。
4 右に述べられたところから明らかなように、原告会社の現業作業員の存在を正しく示すものは、作業明細帳と賃金明細書であり、そして、本件各事業年度の両書類には本件作業員の氏名の記載があるのであるから、本件作業員が本件各事業年度において原告会社に勤務していたことは明白である。また、原告会社が、その間、本件作業員について源泉所得税等を控除して、これを所轄官署に納付していたことは、右の事実を裏付けるものである。
これに対し、被告の主張は、単なる備忘的ないし参考的な帳簿書類にすぎない賃金受領証綴及び現業員級別一覧表に依拠して、作業明細帳及び賃金明細書の正確性を否定するもので、その実体を無視した主張が不当なことは、いうまでもない。
三 履歴書について
1 原告会社では、本件作業員を含め現業従業員全員の履歴書を保管している(本件作業員の一部については、その履歴書を紛失したため現在それを所持していないが、昭和四三年に行われた本件各事業年度の税務調査の際には、それらも存在していた。)。それは、原告会社においては、現業従業員の採用にあたって、入社希望者を原則として履歴書に基づいて面接し、そのうち採用(原告会社では、現業作業員のほとんどが寮に入るため、入寮をもって正式採用としていた。)されて現実に勤務することとなった現業従業員については、その履歴書を必ず保管し、退職した後においてもこれを保存していたからである。これに対し、不採用となった者の履歴書は、本人に返還するか破棄するようにしていた。したがって、原告会社に本件作業員の履歴書が保管されていたということは、本件作業員が原告会社に現実に採用され勤務したなによりの証拠であるといわなければならない。
2 被告は、本件作業員の履歴書に基づいて、その履歴書に記載されている者に対し照会を行い、返事のあった一部の回答に原告会社に勤務したことがないとするものがあったことから、本件作業員は原告会社に勤務したことのない架空の作業員であると主張する。しかし、右主張は、次に述べるように、原告会社の採用選考の実体を無視するものであって、失当である。
(一) 原告は、実在する履歴書記載の人物を採用したと主張しているのではなく、履歴書記載の氏名を称する人物を採用したと主張しているのである。すなわち、原告のような小規模な運送会社では、現業従業員の採用にあたっては、履歴書を持参した者がはたして履歴書記載の人物と一致するかどうかを印鑑証明書、住民票等によって確認することなどはせず、履歴書持参の者を履歴書に記載されている者として選考していたのであるから、採用された本件作業員の中に履歴書記載の実在の人物と一致しない者も当然でてくるのである。このことは、履歴書が原告会社に保管されているにもかかわらず、被告の行った照会に対し、履歴書を書いたことはないとか、履歴書は書いたが原告会社に送付したことはないという回答が存することからも明らかである。
(二) ところで、被告の行った照会の中には、履歴書を原告会社に送付したが実際には勤務しなかったというものもある。しかし、これらの回答を仔細に検討すると、それらは、本人ではなく親が回答したもの、あるいは回答書の筆跡が履歴書のそれと異なるものや回答のあやふやなものばかりである。もとより前者は、本人が回答していないので、その回答が正確性に欠ける疑いが強いことは想像に難くないところであるが、後者の回答についても、筆跡や回答内容から、はたして被照会者が原告会社に保管されている履歴書を作成したものであるかどうかは、はなはだ疑問である。仮に、被照会者自身が履歴書を作成したとしても、原告会社のような小規模な運送会社の作業員に応募してくる者は、往々にして兄弟、知人、友人からその履歴書を借りてきたり、又はこれらの人から決定した就職口を譲り受けたりすることがあるので、本件の場合も、そうした一事例と考えられる。
(三) いずれにしても、原告会社に本件作業員の履歴書が保管されていたということは、前述した原告会社の履歴書の取り扱い方からして、本件作業員が原告会社に採用され勤務したことのなによりの証左であり、その履歴書に押された受付印あるいは原告会社担当者により履歴書の余白に記載された種々の書き込み等は、これを裏付けるものである。したがって、被告の行ったあやふやな照会の結果をもとに、本件作業員の実在性を否定することは、不当である。
四 作業員比率について
1 被告は、本件作業員が原告主張のとおり実在したとすると、運転手一人当たりの作業員比率が通常の運送会社より高くなると主張する。しかし、これは、原告会社の業務内容を正しく認識しないものであり、以下に述べるような本件各事業年度当時の原告会社の業務実体を知れば、本訴における原告主張の正当性を理解することができるはずである。
2 原告会社は、昭和三六年ころまでは藤倉電線株式会社を主な取引先としていたが、昭和三七年四月ころから主な取引先が西松建設株式会社等の建設会社に変り、それに伴って運送物も重量物、長尺物、広巾物等の建設機械や建設資材が多くなった。これに加えて、昭和三九年の東京オリンピックのため高速道路建設、地下鉄工事、ビル建設等の建設事業が急激に増加し、これに伴い建設資材等の運搬が早朝から深夜にわたることが非常に多くなったが、当時、原告会社はもとより、顧客の建設会社でも資材の積み降し手段の機械化が十分でなかったことから、資材の積み降しはどうしても人手に頼らざるをえず、いきおい作業員の数は多くならざるをえなかったのである。原告会社における資材積み降し手段の機械化状況について説明すると、本件各事業年度中に原告会社が保有していたクレーン車は二台あったが、いずれも現在みられるような伸縮自在に移動できるものとは異なり、クレーン装置をトラックに固定させ荷物を上下に移動することしかできない性能の悪いものであり、人手削減に貢献することは少なかった。
しかし、昭和四一年ころからは、建設会社は次第に機械化が進み、資材の積み降しと移転に人手が節約できるようになるとともに、原告会社でも昭和四一年六月一三日ころからウインチ付あるいはユニット付トラック等の導入をはじめ、昭和四二年二月からは性能のよい近代的クレーン車を順次購入したので、それに比例して作業員の数も減少していったのである。
五 補足的主張
原告は、以上二ないし四において、本件作業員が実際に原告会社に勤務し賃金の支給を受けていたことを主張してきたが、次に述べる1ないし3の事実も、原告の右主張を間接的に裏付けるものである。
1 原告会社においては、現業従業員の大部分が寮に入っていたころ、原告会社には、当時、永代寮等九棟の寮(合計面積八三九・七八平方メートル)があり、その面積から合理的に推定される収容入員からしても、本件作業員が原告会社の寮に入居していたこと、したがって、本件作業員が勤務していたことが明らかである。
2 原告会社では、その従業員及び役員の給与、賞与にあてる資金を銀行から引き出すについては、その都度、本件作業員を含む全従業員と役員の給与、賞与総額に見合う現金を引き出しており、そこには架空労務費の存在を窺わせる形跡は認められない。
3 一般に脱税を行った場合、脱税者は、その脱税した資金を他に保管するか、不動産、有価証券等の購入にあてるなどしているものであり、どこかに資産の増加若しくは負債の減少といった形跡があるはずであるが、原告会社にはそのような形跡はまったく見当たらない。そうしたことから、原告会社に隠匿所得を発見できなかった被告は、本件の否認労務費を当時の原告会社代表取締役大谷巳代治に対する賞与と認定して、源泉所得税の納税告知処分をしたが、右処分は、原告の審査請求によって東京国税局長により取り消された。これは、被告が原告会社及び原告会社の役員とその家族にいたるまで徹底的に調査したうえでの処分が取り消されたのであるから、実質的には、東京国税局長において本件否認労務費が架空労務費でないことを認めたに等しいというべきである。
六 青色申告書提出の承認の取消処分の無効について
被告は、昭和四三年六月二九日付で原告の昭和三八年上半期事業年度以降の青色申告書提出の承認を、架空の本件作業員に賃金を支給したかの如く仮装したことが法人税法一二七条一項三号に該当するとして、取り消したが、前述の如く本件作業員は実在し、原告会社は現に賃金を支払ってきたのであり、右被告の認定は著しく事実を誤認するものであるから、右青色申告書提出承認取消処分は無効である。したがって、原告が青色申告法人でないことを前提に本件各更正処分がした昭和四〇年上半期事業年度における貸倒準備金繰入の否認並びに昭和四〇年下半期事業年度における貸倒準備金繰入と繰越欠損金控除の各否認及び貸倒準備金戻入の認容は、いずれも違法である。
第六原告の反論に対する認否と被告の再反論
一 原告の反論一のうち、原告会社の現業従業員が運転手と作業員であることは認めるが、作業員が臨時と常傭とに区分されていたこと及び本件作業員が臨時作業員であることは争う。
二 同二の1のうち、受注のあと原告主張の順序で手配書、作業日報、作業明細帳、作業時間表、賃金明細書が作成されていたことは認めるが、作業明細帳が毎日作成されていたことは争う。原告が、従業員の賃金から源泉所得税等を控除して、これを所轄官署に納付していたこと及び一部の者から給料受領書を徴していたことは認めるが、受領書を徴する対象者については不知。
同二の2のうち、作業明細帳に現業従業員の作業内容、作業時間が記載されていること及び照合の跡が見られること並びに賃金明細書に現業従業員の作業時間と賃金額の記載のあることは認めるが、作業明細帳及び賃金明細書が正確なものであることは争う。
同二の3のうち、賃金受領証綴中に<済>印のないところがあることは認めるが、同綴が運転手と常傭作業員について給料袋の作成の有無を確認する参考的備忘的なものであることは争う。同じ給料袋を作成するのにもかかわらず、臨時作業員だけを同綴に記載しない合理的根拠が存しないばかりか、同綴の標題及び同綴中の<済>印が一度に押捺されていない事実並びに、当時、賃金の支給にあたり受領書を取っておらず、なんら証拠が残らなかったことを併せ考えれば、同綴は、経理担当者が実際に賃金を支払ったか否かの確認をする最も重要な書類とみるべきである。また、現業員級別一覧表に本件作業員の記載がないのは、臨時作業員が賃金の格付のうえで原則として最下位に位置付けられていたからであるということは争う。原告が臨時作業員であるという本件作業員も、その賃金は二ないし三ランクに格付されていることが多く、もし、本件作業員が実在するのであれば、本件作業員も右一覧表にそのすべてが記載されなければ、賃金計算は不可能である。しかも、同一覧表が作業員の募集をしていた総務担当者によって作成、保管されていたことからすれば、同一覧表は、主として現業従業買管理のために作成されていた文書とみるのが相当であり、原始記録としての信頼性を有するものといわなければならない。したがって、本件作業員が同一覧表に記載がないのは、すなわち、本件作業員が架空であることを意味するものである。
同二の4のうち、原告が本件作業員について源泉所得税等を所轄官署に納付していたことは認めるが、その余はすべて争う。原告の如く架空人件費を計上するからには、賃金の計算支払いに関する帳簿書類を整備し、源泉所得税、各種保険料の控除、納付等の仮装行為をも同時にすることが多く、このことをもって、架空人件費でない根拠とすることはできない。
三 同三の1のうち、原告が本件作業員のうち別紙三番号64の松下茂男、同65の宮本良臣、同66の石井復男の三名を除く者の履歴書を保管していたことは認める(上記三名については不知。)が、原告会社に応募して不採用となった者の履歴書を本人に返還又は破棄していたことは争う。
同三の2の(一)のうち、一般に原告が作業員の採用にあたり印鑑証明書、住民票等により身元確認をしていなかったことは認めるが、一部の者については郵便(採用通知)により身元確認をしていたものである。本件作業員の中に履歴書記載の実在の人物と一致しない者がいることは争う。被告が行った照会に対する回答の中に原告会社に保存されている履歴書を書いたことがないとか、履歴書を原告会社に送付したことはないというもののあることは認めるが、そのような回答の大部分は履歴書を写した写真、コピーを示さずに照会した者に対するものであって、写真、コピーを提示してえた回答はそのほとんどが履歴書の作成、送付の事実を認めている。また、写真を見ただけでは、自分の書いた履歴書ではないと回答した者が、コピーを提示すると、回答をひるがえして自分の書いたものであることを認めた例もあり、原告の主張する回答の例をもって、本件作業員がそうした回答者の戸籍上の氏名をかたっているということはできない。
同三の2の(二)のうち、回答の中に本人ではなく親が回答したものがあることは認めるが、その余は争う。
同三の2の(三)のうち、履歴書の中に受付印や原告会社担当者による書き込みのあるもののあることは認めるが、その余は争う。
四 同四の1は争う。
同四の2のうち、原告会社の主な取引先が昭和三七年四月ころから西松建設等の建設会社に変ったこと、本件各事業年度当時、原告会社にクレーン車二台があったが、その性能は必ずしも良くなかったこと、原告会社がウインチ付若しくはユニット付トラックを最初に購入したのは昭和四一年六月一三日であること及び昭和四二年二月に新型クレーン車を購入したことは認めるが、昭和四一年ころから作業員の数が減少していったことは争う。
五 同五の1のうち本件作業員が原告会社の寮に入居していたことは争う。むしろ、原告会社の寮の広さから合理的に推定される収容人員からみても、本件作業員の存在しないことは、明らかである。
同五の2のうち給与、賞与の支給日に計上人件費に見合う現金を取引銀行から引き出していたことは認める。しかし、未払金等として架空労務費を計上することは通常考えられないところであり、銀行から計上人件費に見合う現金を引き出していたことが、架空労務費を計上しなかった証拠となるものではない。
同五の3のうち脱税によってえた資金が常に資産化していることは争う。被告が本件否認労務費に見合う資産を把握できなかったこと、本件否認労務費を当時の原告会社代表取締役大谷巳代治に対する賞与と認定して源泉所得税の納税告知処分をしたこと及び右処分が東京国税局長によって取り消されたことは認めるが、右処分の取消しによって東京国税局長が実質的に本件否認労務費が架空労務費でないことを認めたに等しいとの主張は争う。右処分の取消し理由は、「代表者が費消したという確証はない」というのであって、本件否認労務費が架空であるか否かの判断をしたものではない。
六 同六のうち、被告が昭和四三年六月二九日付で原告の昭和三八年上半期事業年度以降の青色申告書提出の承認を、原告主張の理由により取り消したことは認めるが、それが無効であることは争う。
(証拠)
第一原告
一 甲第一、第二号証の各一ないし六、第二号証の一ないし六の各一、第三ないし第五号証の各一ないし四、第六号証の一ないし八、第六号証の八のロ、第六号証の九ないし二八、第六号証の二九のイ、ロ、第六号証の三〇ないし三五、第六号証の三六のイ、ロ、第六号証の三七のイないしハ、第六号証の三八のイ、ロ、第六号証の三九ないし五一、第六号証の五一のロ、第六号証の五二ないし五九、第七ないし第九号証の各一ないし一二、第一〇号証の一ないし四、第一一号証の一ないし三、第一二ないし第一四号証の各一、二、第一五ないし第二二号証、第二三号証の一、二、第二四号証の一ないし七、第二五号証の一、二、第二六号証、第二七号証の一、二、第二八ないし第三四号証、第三五ないし第三七号証の各一、二、第三八ないし第四七号証、第四八号証の一、二
二 証人菅英一(第一、二回)、同関正志(第一、二回)、同木村重雄、同松山弘、同小野瀬満男の各証言並びに原告会社代表者大谷巳代治、同大谷義三の各尋問の結果
三 乙第二号証、第四号証の一ないし六、第五号証の一ないし四、第七ないし第一三号証、第二一、第二二号証、第三一号証、第三三号証、第三五、第三六号証、第四〇号証の一、第四一号証、第四六号証の一、二、第四七号証の一ないし三、第四八号証の一、二、第四九号証の一ないし四、第五〇号証の一ないし三、第五一号証の一ないし四、第五二、第五三号証の各一ないし三、第五四、第五五号証の各一、二、第五七号証の一ないし四、第六一号証、第六三ないし第七〇号証の成立並びに第三号証の原本の存在と成立は認める。乙第六号証は、左上部欄外の「作業明細帳」と書き込んである部分の成立は知らないが、その余の部分の成立は認める。その余の乙号各証の成立はいずれも不知。
第二被告
一 乙第一号証の一ないし三七、第二、第三号証、第四号証の一ないし六、第五号証の一ないし四、第六ないし第一三号証、第一四号証の一ないし三、第一五号証の一、二、第一六号証、第一七号証の一、二、第一八号証、第一九号証の一、二、第二〇号証の一ないし三、第二一、第二二号証、第二三、第二四号証の各一、二、第二五号証の一ないし四、第二六号証の一ないし六、第二七号証の一、二、第二八号証、第二九号証の一、二、第三〇号証の一ないし三、第三一号証、第三二号証の一ないし五、第三三号証、第三四号証の一ないし三、第三五、第三六号証、第三七号証の一、二、第三八、第三九号証の各一ないし三、第四〇号証の一、二、第四一号証、第四二号証の一、二、第四三号証の一ないし三、第四四号証の一、二、第四五号証の一ないし三、第四六号証の一、二、第四七号証の一ないし三、第四八号証の一、二、第四九号証の一ないし四、第五〇号証の一ないし三、第五一号証の一ないし四、第五二、第五三号証の各一ないし三、第五四、第五五号証の各一、二、第五六号証、第五七号証の一ないし四、第五八ないし第六一号証、第六二号証の一、二、第六三ないし第七〇号証、第七一ないし第七三号証の各一ないし三
二 証人三原辰男の証言
三 甲第一六ないし第二一号証、第二五号証の一、二、第二六号証、第三三、第三四号証、第三五ないし第三七号証の各一、二、第三八ないし第四二号証、第四五、第四七号証、第四八号証の一の成立は不知。甲第二三号証の二は、「昭和三九・三・七現在」の部分の成立は知らないが、その余の部分の成立に認める。甲第四八号証の二は、官公署作成部分の成立は認め、その余の部分の成立は不知。その余の甲号各証の成立はいずれも認める。
理由
一 請求原因一、二の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、本件作業員の労務費が架空であるかどうかについて、判断する。
1 原告が、本件各事業年度において、本件作業員六七名を雇傭し同人らに対し別紙三記載のとおり合計二四一四万二八〇〇円の賃金を支給したとして、各事業年度の支給金額を当該年度の損金の額に算入したこと、原告会社における受注後の各帳薄書類の作成順序が原告主張のとおりであること、本件作業員の履歴書(ただし、別紙三番号64の松下茂男、同65の宮本良臣、同66の石井復男の履歴書を除く。)が原告会社に保管され、作業明細帳及び賃金明細書にも本件各事業年度に本件作業員が実際に稼働し、それに相応する賃金が支給されたかの如く記載され、かつ、本件作業員についての源泉所得税及び各種社会保険料の納付も行われていたこと、しかし、他方、原告会社の当時の賃金受領証綴には本件作業員の記載はなく、賃金の格付を示しほぼ毎月作成されている現業員級別一覧表にも、賃金受領証綴に記載されている者はその全員が記載されているが、本件作業員はその一部がたまに記載されているにすぎないことは、当事者間に争いがない。
2 ところで、成立に争いのない甲第三ないし第五号証の各一ないし四、第七ないし第九号証の各一ないし一二、乙第二号証、第四号証の一ないし六、第五号証の一ないし四、第二一、第二二、第三一、第三三、第三五、第三六号証、第四〇号証の一、第四一号証及び弁論の全趣旨により成立が認められる乙第一号証の一ないし三七、第一四号証の一ないし三、第一五号証の一、二、第一六号証、第一七号証の一、二、第一八号証、第一九号証の一、二、第二〇号証の一ないし三、第二三、第二四号証の各一、二、第二五号証の一ないし四、第二六号証の一ないし六、第二七号証の一、二、第二八号証、第二九号証の一、二、第三〇号証の一ないし三、第三二号証の一ないし五、第三四号証の一ないし三、第三七号証の一、二、第三八、第三九号証の各一ないし三、第四〇号証の二、第四二号証の一、二、第四三号証の一ないし三、第四四号証の一、二、第四五号証の一ないし三、第七一ないし第七三号証の各一、二によれば、次の事実が認められる。
原告会社には本件作業員六七名のうち六四名(別紙三番号1ないし63、67記載の者)の履歴書が保管されていたので、被告が、右履歴書をもとに、そこに記載されている者について、その本人又は親許あてに原告会社に勤務したことがあるかどうかを照会し、あるいは本人に直接面接してこれを確認したところ、右六四名のうち別紙三番号1、2、4ないし24、26ないし30、32ないし49、52ないし54、56ないし59、62、67記載の五五名から回答ないし供述をえることができた(別紙三番号9、19、23、24、48、56記載の者については父母などからの回答、同15、26、29、41、46、57記載の者については父親あての照会に対する本人名義の回答である。)が、そのうち別紙三番号1の渡辺幸一、同27の伊藤一三、同58の山口幸男を除く五二名は、いずれも原告会社に勤務したことはないと答えていること、また、被告が裏付調査をしたところ、別紙三番号5の橋本寅蔵、同6の浅間道雄、同9の椚原善平、同15の阿曽哲夫、同16の盛沢泰、同19の吉沢岩夫、同26の安龍誠、同35の塙喜一、同36の田村英雄、同38の吉田敬助、同40の左藤徳治、同42の落合正男、同45の大矢昌、同47の渡部幸男、同52の望月原敬、同54の阿部幸治、同59の梅木辰夫については、これらの者が原告会社に勤務していたとされていた時期に他の企業に就職していた旨の回答が当該企業から寄せられ、同14の佐々木正夫、同30の町井則夫についても、右時期に同人らが病院に入院中であった旨の回答が当該病院からされていること、更に、前記番号1の渡部幸一、27の伊藤一三、58の山口幸男の三名についても、作業明細帳及び賃金明細書によれば、同人らの勤務した時期が、渡部は昭和三七年暮以前より昭和三八年三月二〇日まで、伊藤は昭和三八年三月二五日より昭和三九年六月一三日まで、山口は昭和四〇年六月一日より同年一一月一〇日までとなっているにもかかわらず、渡部は昭和三七年三月中旬から約一か月半(これは本件各事業年度外である。)、伊藤は一日、山口は一日又は半日、それぞれ原告会社に勤務したことがあるだけであると回答していること、そのほか、直接回答をえられなかった者の中でも、別紙三番号50の広瀬久幸は、昭和四〇年三月二二日死亡しているにもかかわらず、作業明細帳及び賃金明細書のうえでは同年九月三〇日まで勤務したことになっており、また、別紙三番号51の穂坂政人は、作業明細帳及び賃金明細書のうえでは昭和三九年五月二六日から昭和四〇年一〇月二〇日まで勤務したことになっているが、同人が北沢化学工業株式会社に提出した昭和四二年一一月二二日付の履歴書によれば、昭和三六年一〇月から昭和三九年八月まで東京都墨田区の丸正運輸に、同月から昭和四二年一一月まで東京都台東区の大衆酒場に勤務したことになっていること
以上の事実が認められる。原告は、被告の行った照会に対する回答書の筆跡が履歴書のそれと異なるとか、親族が回答している例があることをもって、右回答の信憑性、正確性を否定するが、本人名義の各回答書とその履歴書である成立に争いのない甲第六号証の四、六ないし八、八のロ、九、一〇、一五ないし二八、二九のイ、ロ、三〇ないし三四、三六のイ、ロ、三七のイないしハ、三八のイ、ロ、三九ないし四一、四三、四五ないし五一、五一のロ、五二ないし五九とを対比してみると、筆跡の異なるものが二、三見受けられるものの、それらの履歴書は代書人の作成であることが明らかなもの又は代筆の可能性を否定できないものばかりであり、それ以外のものについては筆跡が明らかに異なるということはできないし、また、親族の回答であるからといって、当然にその信憑性等に疑問があるということはできない。
3 原告は、原告会社としては履歴書記載の者を採用したのではなく、履歴書記載の氏名を称する者を採用したのであって、履歴書記載の者からの回答によって本件作業員が架空であるかどうかを認定することはできないと主張する。
そこで、更に検討してみると、なるほど、前掲乙第一号証の八、一五、二六によれば、別紙三番号11の石野恒祐、同28の深迫弘一、同43の岩田正一は、前記被告の照会に対し、原告会社に保管されている履歴書は自分が書いたものではなく原告会社にそれを送付したこともないと回答していること、前掲乙第一号証の三、二一、二四、三四、三六、第一八号証、第七三号証の一、二によれば、別紙三番号7の山中栄八、同8の栗原寅男、同35の塙喜一、同39の甲田功、同54の阿部幸治、同58の山口幸男、同62の相沢宏昌は、履歴書は自分が書いたものに相違ないが、それを原告会社に送付したことはないと回答していること(ただし、相沢は送付を否定した点につき疑問を留保している。)、更に、前掲乙第一号証の四、第四号証の四によれば、別紙三番号9の椚原善平及び同15の阿曽哲夫は、履歴書を原告会社に送付したことはないと回答していること(ただし、椚原の回答は母親によるものであり、阿曽は父親あての照会に対し本人名義の回答がなされている。)そのほか、前掲乙第一号証の五、二三、三二、第四号証の一、五、第五号証の一、第二四号証の一、二によれば、別紙三番号4の古川惣治郎、同19の吉沢岩夫、同30の町井則夫、同41の関口一二三、同46の斉藤勝、同48の佐々木幸男、同57の飛田光男は、履歴書の作成、送付につき無回答であるか又はいずれとも確たる回答をしていないこと(ただし、吉沢、佐々木の回答は父親によるものであり、古川、関口、斉藤、飛田は父親あての照会に対し本人名義の回答がなされている。)が認められる。しかし、前掲乙第一号証の一、二、六、九ないし一二、一四、一七ないし二〇、二二、二五、二七、二八、三〇、三一、三三、三五、三七、第五号証の三、四、第二一、第二二号証、第二七号証の一、二、第三一、第三五、第三六号証、第七一、第七二号証の各一、二によれば、別紙三番号2の栗橋寅男、同5の橋木寅蔵、同6の浅間道雄、同12の福田福司、同13の大関清美、同14の佐々木正夫、同16の盛沢泰、同17の倉田義道、同18の小川満広、同20の戸田勲、同21の館山豊治、同22の中岡誠順、同27の伊藤一三、同32の金山勝美、同33の伊藤孝二、同34の村上弘、同36の田村英雄、同37の山田寿介、同38の吉田敬助、同40の佐藤徳治、同42の落合正男、同44の佐藤広信、同45の大矢昌、同47の渡部幸男、同49の山田泰理、同52の望月原毅、同59の梅木辰夫、同67の泥谷武は、履歴書は自分の書いたものであって(ただし、村上は代書人の作成)、確かに原告会社に送付、提出したと回答ないし供述し、しかも、このうち、同20の戸田勲、同22の中岡誠順、同34の村上弘、同36の田村英雄、同38の吉田敬助、同47の渡部幸男、同59の梅木辰夫は、原告会社に行って面接を受けたが勤務しなかったと述べていることが認められる。また、前掲乙第一号証の一三、一六、第四号証の二、三、第五号証の二、第二四号証の一、二、第四五号証の一ないし三によれば、別紙三番号10の松岡丕、同19の吉沢岩夫、同23の早坂二郎、同24の吉田忠光、同26の安龍誠、同29の山崎信一郎、同56の宗像明も、原告会社に履歴書を送付、提出したことがあると回答していること(ただし、吉沢、早坂、宗像は父親、吉田は兄がそれぞれ回答したもので、安龍、山崎は、父親あての照会に対し本人名義で回答がなされている。)、更に、前掲乙第一号証の一五、二六、二九、第四一号証によれば、前記のとおり深迫弘一、岩田正一は履歴書の作成、送付を否定しているが、その一方では、深迫は原告会社に保管されている履歴書が自分の履歴書であることを認め、岩田も原告会社に行ったことはあると回答しているのみならず、別紙三番号53の田島俊彦は、被告の照会に対し、当初は履歴書の作成も送付も否定していたが、後に被告の調査担当者が直接面接し、原告会社に保管されている履歴書の実物大の写しを示してその作成の有無を尋ねたところ、田島は、自分の作成したものであることを認め(ただし、送付、提出については、記憶がないという。)、当初履歴書の作成を否定したのは、照会書添付の履歴書を写した縮小版の写真では良く分らなかったためであると供述していること、が認められる。
右の事実によれば、少なくとも、履歴書を原告会社に送付、提出したという三五名については、これらの者が本件作業員とされている者と異なる人物である(すなわち、本件作業員が履歴書記載の氏名を称している。)ということはできないといわなければならない。また、履歴書の作成は認めながらその送付提出を否定する七名及びその作成には触れずに送付のみを否定する二名も、同人らが原告会社に勤務することがなかったため原告会社に履歴書を送付、提出したことを失念していると推測するのが自然である。更に、履歴書の作成自体を否定する三名についても、前掲乙第一号証の一五、二六によれば、そのうちの別紙三番号28の深迫弘一は原告会社にある履歴書が自分の履歴書であることを認めており、また、同43の岩田正一も原告会社に行ったことがあると回答していることに加え、前述した番号53の田島俊彦の如き例があることからすると、これらの者の履歴書の作成を否定する回答は、すこぶる疑問であるといわなければならない。
4 右2及び3の認定事実によれば、本件作業員のうち少なくとも別紙三番号1、2、4ないし24、26、28ないし30、32ないし49、52ないし54、56、57、59、62、67の五三名及び同51の穂坂正人は本件各事業年度中に原告会社に勤務したことはないと認めるべきであり、また、同27の伊藤一三、同50の広瀬久幸及び同58の山口幸男も、作業明細帳及び賃金明細書に記載されているような期間、原告会社に勤務していなかったことは明らかである。しかも、右伊藤及び山口が勤務したのは一日又は半日というのであるから、はたして賃金の支給を受けたかどうかは疑わしいところである。原告は、原告会社に勤務したことがないという右五三名の者は決定した原告会社への就職口を他の第三者に譲渡したものであるかの如く主張するが、そのようなことは不自然であるのみならず、別紙三番号20の戸田勲、同22の中岡誠順、同34の村上弘、同36の田村英雄、同38の吉田敬助、同47の渡部幸男、同59の梅木辰夫は、前記認定のとおり原告会社で面接を受けているのであって(原告の主張によっても、原告会社では作業員の採用にあたっては原則として面接をするという。)、これらの者が原告会社への就職口を第三者に譲渡することなどはできるはずもなく、原告の右主張は到底採用することができない。また、原告は、送付、提出を受けた履歴書のうちで実際に勤務しなかった者の履歴書は返還又は破棄していたと主張し、証人関正志(第一回)、同菅英一(第一回)の各証言及び原告会社代表者大谷義三、同大谷巳代治の各尋問の結果はこれにそうものであるが、たやすく措信することができない。
してみると、原告がその主張の根拠とする作業明細帳及び賃金明細書には本件各事業年度に本件作業員が実際に原告会社の従業員として稼働していたかの如く記載されていることは前記1のとおりであるが、いかに克明な記載や照合の跡がみられるにせよ、右作業明細帳及び賃金明細書には明らかに虚偽(架空の作業員)の記載があるものといわなければならない。右認定に反する証人関正志(第一回)、同松山弘、同木村重雄、同菅英一(第一回)の各証言及び原告会社代表者大谷義三、同大谷巳代治の各尋問の結果は措信することができない(なお、原告会社代表者大谷義三は、昭和三九年五月にも税務調査があり作業明細帳及び賃金明細書について調べを受けたが、そのときは是認通知があったと供述するが、仮にそうであっても、右認定が左右されるものではない。)。
5 他方、賃金受領証綴(原本の存在と成立に争いのない乙第三号証)に本件作業員の記載がないことは前記1のとおりであるが、証人三原辰男の証言によれば、本件各処分に先立つ税務調査の段階で、原告会社の経理担当者は、賃金受領証綴は賃金支給の有無を確認する最も重要な帳薄書類であると述べていたことが認められる。原告は、賃金受領証綴は常傭の現業従業員のみを記載したもので、給料袋がそこに記載されている従業員の数だけ作成されたか否かを確認するものにすぎず、臨時作業員である本件作業員が同綴に記載されていないのは当然であると主張し、証人関正志(第一回)、同菅英一(第一回)の各証言及び原告会社代表者大谷義三、同大谷巳代治の各尋問の結果はこれにそうものであるが、たやすく措信することはできない。したがって、合理的な反証のない限りは、右賃金受領証綴に記載されていない者に対しては従業員として賃金が支払われたことはないと推認するのが相当である。
また、現業員級別一覧表にも、賃金受領証綴に記載されている者はその全員の氏名が記載されているが、本件作業員はその一部がたまに記載されているにすぎないことは、前記1のとおりであるところ、原告は、その理由について、本件作業員のような臨時作業員は賃金の格付のうえで原則として最下位に位置付けられているので記載の必要がなく、ただ、例外的に社長から指示があったときは臨時作業員でも記載することがあったと主張し、証人関正志(第一回)、同菅英一(第一回)の各証言及び原告会社代表者大谷義三の尋問の結果は、ほぼこれにそうするものである。しかし、前掲甲第七ないし第九号証の各一ないし一二、成立に争いのない甲第二三号証の一、「昭和三九・三・七現在」の部分を除いては成立に争いがなく、同部分も弁論の全趣旨により成立が認められる同号証の二によれば、本件作業員の賃金単価は乙第五九号証記載のとおりであったこどが認められ、これによると、本件作業員の賃金単価は必ずしも全員が同額であったわけではなく、最下位のものより一ないし二ランク上位のものも少なからずいることが明らかであり、もし、本件作業員が真実勤務していたとすれば、少なくとも、賃金単価が最下位でない者については、現業員級別一覧表にその記載がなければ正確な賃金計算は不可能であったと認められる。ところが、証人菅英一(第一回)は、現業員級別一覧表に臨時作業員を記載するのは、社長の指示があったときであると供述するのに対し、当時の原告会社の社長であった大谷巳代治は、その代表者尋問において、右一覧表に臨時作業員を記載することはなく、ただ、臨時の者でも常傭作業員に昇格したときは記載することがあると供述し、右一覧表に記載する基準は必ずしも明らかでないが、前掲甲第二三号証の一、二を検討してみると、本件各事業年度を通じて毎月一回は作成されている右一覧表のうちで本件作業員の氏名が記載されているのは、昭和三九年四月二一日、同年六月二一日、同年七月二一日、同年八月二一日、同年九月二一日、同年一一月一日、昭和四〇年一月二〇日、同年四月一日、同年五月一日、各現在のものだけで(ただし、昭和三九年四月二一日現在のものは二枚あり、一枚には記載があるが、他の一枚には記載がない。)、しかも、これらには、乙第五九号証表示の賃金単価が最下位の者も含めて当該月に勤務していたとされる本件作業員全員の氏名が記載されているのに対し、右以外の月に作成された一覧表には、賃金単価が最下位の者であるかどうかを問わず当該月に勤務していたとされる本件作業員の氏名は全く記載されていないことが認められる。以上の事実からすると、現業員級別一覧表における本件作業員の取り扱い方は、本件各事業年度を通じて統一性がなく、しかも、それについての原告の主張及びそれにそう前掲各証拠は、右一覧表の記載から認められる客観的事実と一致しないことが明らかである。
更に、証人三原辰男の証言によれば、本件各事業年度当時における運送会社では、原告のような建設資材の運送を主な仕事としているところでも、運転手一人当たりの作業員比率はおおむね〇・五ないし一であったことが認められるところ、前掲甲第三ないし第五号証の各一ないし四、第二三号証の一、二、乙第三号証によって当時の原告会社における運転手一人当たりの作業員比率をみてみると、その比率は、本件作業員を除外して計算するとほぼ一・〇前後であるのに対し、本件作業員を含めるとほぼ二・〇前後となることが認められる。これに対し、原告は、本件各事業年度当時における業務内容、機械化状況等から本件作業員を除いては原告の業務遂行が不可能であったと主張して、甲第二二、第三三、第三四号証、第三七号証の一、二、第三八ないし第四〇号証を提出し、証人関正志(第一、二回)、同木村重雄、同菅英一(第一、二回)、同小野瀬満男の各証言及び原告会社代表者大谷義三、同大谷巳代治の各尋問の結果はこれに符合するものである。しかし、原告会社の主な取引先が昭和三七年四月ころから西松建設等の建設会社に変ったこと、本件各事業年度当時、原告会社にクレーン車二台があったが、その性能は必ずしも良くなかったこと、原告会社がウインチ付若しくはユニット付トラックを最初に購入したのは昭和四一年六月一三日であり、また、新型クレーン車を昭和四二年二月に購入したことは当事者間に争いがないが、これまで認定した事実と対比すれば、前掲各証拠はいずれも右原告の主張を認めるに十分なものではない。
6 以上を総合してみれば、本件各事業年度に原告会社の現業従業員として賃金の支給を受けた者は賃金受領証綴に記載されている者だけであり、そこに記載のない本件作業員は架空であるか、少なくともこれに対して賃金が支給されたことはないと認めるのが相当である。原告会社が本件作業員について源泉所得税及び各種社会保険料の納付をしていたとしても、そのことはなんら右認定を妨げるものではない。したがって、原告が本件作業員に支給したとして損金に計上した合計二四一四万二八〇〇円の賃金は架空労務費であったと認めるべく、右認定に反する甲第三ないし第五号証の各一ないし四、第七ないし第九号証の各一ないし一二、第一六ないし第二一号証、第四七号証並びに証人関正志(第一回)、同松山弘、同木村重雄、同菅英一(第一回)の各証言及び原告会社代表者大谷義三、同大谷巳代治の各尋問の結果はすべて採用することができない。
なお、証人小野瀬満男は、原告会社の臨時作業員は本件作業員だけでなく、甲第四五号証記載の者も臨時作業員であって、この者については被告もその存在を是認していたと供述するが、前掲乙第三号証と照合すれば、右甲第四五号証に記載されている者は、同人らが臨時作業員であったとされている時期にいずれも賃金受領証綴にも記載されていることが明らかである。また、原告は、本件作業員を収容しうる寮が存在すること、従業員に給与、賞与を支給する際、銀行から本件作業員を含む全従業員と役員の給与、賞与総額に見合う現金を引き出していること並びに本件で否認された労務費二四一四万二八〇〇円がどこにも資産化されていないことを挙げて、本件作業員が実在していたと主張するが、右各事実は、もとより前記認定を左右するに足りるものではない。被告が本件否認労務費を原告会社代表取締役大谷巳代治に対する賞与と認定して源泉所得税の納税告知処分をしたところ、右処分が東京国税局長によって取り消されたことは当事者間に争いがないが、成立に争いのない甲第一二号証の二によれば、右取消し理由は、「代表者が費消したという確証はない」というものであることが認められ、形式的にも実質的にも本件否認労務費が架空のものではないとの判断を含むものではない。他に以上の認定を覆すに足りる証拠はない。
よって、本件作業員の労務費合計二四一四万二八〇〇円の損金算入を否認した本件各更正処分は正当であり、原告の主張は理由がない。
三 被告が、原告において本件作業員に対する賃金の支給を仮装したことが法人税法一二七条一項三号に掲げる事由に該当するとして、昭和四三年六月二九日付で原告の昭和三八年上半期事業年度以降の青色申告書提出の承認を取り消したことは、当事者間に争いがない。原告は、右処分は事実を誤認したものであるから無効であると主張するが、前記認定のとおり右処分が事実を誤認したものでないことは明らかであり、右処分はなんら無効ではない。
そうであるとすれば、本件各事業年度の法人税について、原告が青色申告法人でなくなったことに伴って行われた本件各更正処分の貸倒準備金繰入又は繰越欠損金控除の各否認及び貸倒準備金戻入の認容には原告主張の違法はない。
四 前記二認定の事実からすれば、原告が架空の労務費を計上して本件各事業年度の法人税の申告をしたことは、国税通則法六八条一項に規定する課税標準等又は税額等の計算の基礎となるべき事実を隠ぺい又は仮装し、その隠ぺい又は仮装したところに基づき納税申告書を提出したときに該当するものというべきであるから、重加算税の賦課を免れない。
五 以上のとおりであるから、本件各処分に原告主張の違法はなく、原告の本訴請求は理由がない。
よって、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 佐藤繁 裁判官 川崎和夫 裁判官 菊池洋一)
別紙一の別表1
昭和三八年上半期
<省略>
別紙一の別表2
昭和三八年下半期
<省略>
別紙一の別表3
昭和三九年上半期
<省略>
別紙一の別表4
昭和三九年下半期
<省略>
別紙一の別表5
昭和四〇年上半期
△は、マイナスを示す。
<省略>
別紙一の別表6
昭和四〇年下半期
<省略>
別紙二
所得金額の内訳及び重加算税の算出根拠
<省略>
(注)単位 円
内書は、重加算税賦課決定処分の対象となる所得金額であり、△はマイナスを示す。
別紙三
<省略>